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外山ひとみ「ニッポンの刑務所」(講談社現代新書)レビュー

私が外山ひとみさんの名前を知ったのは、先日小菅日記にアップした『AERA』2002年4月8日号である。まだ小菅にいた頃であるが、刑務所の二名独居、過密化、三か国語が飛び交う国際化について取り上げた初めてのレポートではないかと思う。これに高齢化も含めたら完全に「3K」を網羅したことになる。拘置所暮らしなのでヒマだけはたっぷりあり、ノートに全文を写しておいたが、それがあったのでブログにアップすることもできた。外山さんはこの段階で刑務所取材を始めて10年になるとのことだったが、それから10年後、黒羽での刑期を終え、まさか実際に彼女に会うことになるとは、その時は当然夢にも思わなかった。朝日新聞の市川実亜子記者とならび、女性でこれだけ長期的に刑務所取材を続けていらっしゃる方はいないだろう。

その外山さんが20年間の取材の集大成となる『ニッポンの刑務所』を出版された。新書なのに290ページもあるぶ厚い本で、「3年かけた」と言うだけあって、外山さんの業績のみならず、想いもたっぷり詰まったような本である。

第1章は「刑務所基礎知識」。基本用語やデータがコンパクトにまとめられている。刑事政策や刑務所を語る際には、こういうデータが大事だと思っている。まずはこういうデータや用語を最初に示すことは非常に親切なことだと思う。

第2章は「男子刑務所のいま」と題して横浜刑務所のルポが収録されている。前述の『AERA』に載った運動会の風景から紹介されているが、そのあと横浜刑務所は日米和親条約によって下田が開港したあと設置された下田奉行所に併設された牢屋敷が発祥とあり、意表をつかれる。横浜刑務所の2009年の収容人員は定員1263名のところ、1467名であり、収容率117%であるが、過剰収容は日常化しており、「減ったのではなく、この状況に慣らされただけで、まったく変わっていません」という幹部職員の言葉が印象的だ。高齢者も増加しており、60代以上の高齢者が占める割合は2001年の12.4%から08年には24%に急増しているとのこと。二名独居も前述の通り、収容率が120%を超えた川越少年刑務所で2001年3月から試行されたのだが、2007年に138%という驚異の収容率を記録してしまった和歌山刑務所ではなんと6人部屋を9人で使用する状況になってしまったとのこと。ここでは押し入れをベッドがわりにする、まるで『ドラえもん』のような状況になってしまったのだが、「押し入れで寝る方が個人の空間を保持できていい」とのこと。たしかに黒羽でも二段ベッドの上段に寝ると、すっごく落ち着けたもんなあ。十数回の刑期を過ごし、人生の半分近くを暮らしている詐欺師のインタビューでは、2006年5月の新法施行は「現場を知らない人が作ったと思います」という言葉を引き出している。これは正論ではあるが、ちょっと異論があるんだけど...。

第3章は「日本最大の刑務所」府中刑務所について。ここは鬼平こと長谷川平蔵が作った石川島人足寄場にルーツを持ち、明治以降、それが巣鴨刑務所(巣鴨プリズンとは別ね。場所は同じだけど)となり、昭和10年に府中に移転して府中刑務所となっている。2003年7月では115%だった収容率が、2008年4月には108%まで下がったが、「五年前と過剰収容はまったく変わっていません」と、ご他聞に漏れず、ここも過剰収容に悩まされている。府中といえば刑務所の国際化の象徴である。府中は1972年から外国人の収容をはじめ、その頃はたったの21名しかいなかったが、90年代に入って急増。1992年に外国人収容棟ができた頃には276名。2年後の1994年には445名に倍増した。95年に国際対策室が設けられ、各地の刑務所で外国人が収容されるようになったが、2002年には全国の刑務所で外国人が5000人を突破してしまった。2003年に国際受刑者移送条約が締結され、国際化と過剰収容の両者の特効薬になるかと期待されたが、前受刑者の3割を占める中国とはまだ条約が締結されていないこともあり、日本から条約にのっとって移送された受刑者は2008年5月まででわずか100人しかいない。ところで、府中といえば、全国矯正展でも大人気の「パン」なのだが、そこも取材してほしかったなあ。

第4章は「女子刑務所」。現在日本に8ヵ所ある女子刑務所は、収容率が2009年末で114%超と、男子刑務所よりも過剰収容の問題は深刻だ。「東の栃木、西の和歌山」と言われるが、栃木では2005年に129.8%、和歌山では2007年9月に全国で最高となる138%の収容率を記録した。その過剰収容に対応するためになりふり構わぬ改造をしてそれに対処したわけだが、職員も「日々を必死にやり過ごしている状態です」と。こういう状態で更生という目標が達成できるか疑問である。

第5章は100年の時を刻む奈良少年刑務所。現在、外山さんが全国を巡回している写真展の題材となった十字舎房。奈良、千葉、金沢、長崎、鹿児島のいわゆる明治の五大監獄の中で、今も現役なのはここだけだ。奈良といえば充実した教育制度。県立奈良高等学校の通信制課程を受講できることは有名だったが、2008年からは奈良県立大和中央高等学校通信制課程に引き継がれている。再犯対策に大きく役立ってきた教育制度だが、それ以外の特別改善指導についても詳述されている。

第6章は日本初のPFI刑務所である美祢社会復帰促進センター。いきなり時代の最先端の刑務所だ。ここでは再犯ゼロを掲げ、スーパーAと呼ばれる受刑者に全員職業訓練を行い、刑務作業は平均で週3日のみだそうだ。パソコンの操作も必須で、刑務作業はITプログラミング開発まである。旧態依然とした刑務作業を考えれば、新時代に適応した刑務作業と呼ぶことができようが、当然のことながら限られた受刑者しかその恩恵を被ることができないのは残念なことである。あくまでも"実験"のレベルで終わってしまうのだろうか。民営刑務所は刑事政策の切り札のように思われてきたが、民営刑務所の先進国であるアメリカなどでは再犯率の上昇などで、民営刑務所の増設が止まっている。日本での取り組みはどうなるのか、これからが注目である。

第7章は少年院。シンクロナイズドスイミングを実施する少年院など、実に興味深かったが、限られたスペースで少年法と少年院のシステムについて説明するには限界があったと思う。少年院のレポートはそれだけで一冊の本になるのだから、別個に読みたかったと思う。

第8章は「名古屋刑務所事件と新法」。2001年12月に名古屋刑務所で起きた事件をきっかけに、いわゆる新法と呼ばれる「刑事施設及び受刑者の処遇等に関する法律」が2005年に成立し、2006年5月24日から施行された。ちょうど旧法と新法との切り換え時期に刑務所にいたもので、その時のドタバタぶりは昨日のように覚えているが、約100年続いた監獄法が全面改正する瞬間に立ち会えたのは非常に貴重な体験だと思っている。正直、新法切り換え後の混乱はとんでもなかったが、最近は落着いたのだろうか?面会や手紙のやりとりの制限がなくなり、私物や私本の所持制限がなくなったが、最近は混乱の末、再び制限される方向になっているとのこと。当然といえば当然のことで、刑務所のスペースも限られている以上、無制限な私物の所持はそもそも不可能な話である。旧法下ではこのことに関して特に規定がなく、省令などの規則で縛ってきた形になるが、新法下においてもある程度の制限を設けることは、新法の精神に反するものではないだろう。刑務所において私本や私物を把握しておくことは必要なことだと思うし。そういう意味で「監獄法は優れた法律だった」とこぼす刑務官の言葉には賛同できない。旧法だから秩序がとれていたというわけではないだろう。現場からあたらしい秩序を作り出していくことが必要なのだ。一旦壊れたものを元通りにするには何年もかかるのだろうけど。

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